人生のテーマ

 

しばらくブログを更新していなかったのですが、その間に何があったんのかというと、『意識と身体の状態が最悪』というのを体験していました。

 

 

9月末から10月初旬にかけて、発熱により体調が悪かったことは、精神学協会のブログの方へも少し書きました。

 

数年ぶりに、40度近い発熱が突然に始まったのです。扁桃腺と耳下腺に近い部分、リンパも含まれていましたが、熱をもち、腫れあがって、とても痛かったのです。ちょうど、和歌山の代表者の方たちが結界の再構築に出向かれていたので、この地の状況がその上に住む私たち人間の身体に反射した状況になっているのだと理解していました。

 

 

10月2日が伊勢神宮の内宮、5日が伊勢神宮の外宮の遷宮の結びの日だったので、2日までに取りあえず発熱が治まったことを喜んでいました。発熱している3日間は、身体と連動して精神状態もかなり切羽詰まった状況で、『私は何を行うために生まれてきたのか』という、素朴な質問が脳裏に浮かんできては、その答えを突き詰めて考えるというような状況でした。4日にもう一度、内科を受診して抗生物質をもらい服用。熱が引いていくとともに、関節痛などは残っていましたが、咽喉の腫れも痛みも和らいで、身体も少し楽になりました。そのまま、風邪か扁桃腺炎に似た症状は治まると思ったのですが、5日の外宮の遷宮が終わって、また9日ぐらいから治まっていた扁桃腺の腫れがぶり返してきたのです。

 

10日には、耳鼻咽喉科を受診して、再び抗生物質をもらって、まだ服用しています。

 

 

5日の外宮の儀式が過ぎたら、心身ともに楽になると思っていましたが、逆に昔の解決したはずの問題が意識の底から浮かび上がってきて、毎晩眠ることができないほど、頭の中を占領していたのです。

 

私にとって、私の頭を占めて去らない問題とは、母方の祖母のことであり、もう一人は以前の会社で一緒だった意地の悪い男性の上司でした。

 

 

簡単に経緯を説明すると、母方の祖母との軋轢は、私が小学生3、4年生のころからあり、それは祖母が82歳で亡くなるまで40年間近く続きました。

共働きの両親に代わって、私と妹の二人を見てくれていたのですが、私たち姉妹を不公平な扱いにすることで、祖母が安らいでいたという事実に、私はずっと傷ついて何十年もそのことに対して怒っていました。

 

また一方の、前の会社の上司ですが、彼も祖母と同じように私を他の人と不公平に扱うことで安らいでいたという同じ行動パターンの持ち主でした。

祖母と元上司には、何かの共通点があるのですが、それは私が持っている何かともつながっているということに気がついていました。

 

 

実は、祖母については、9月16日(シンロジカルセミナーの翌日)の食事会の時に、同席した数人のSBMインストラクターの分析と助言から、何となく次へと展開していけるきっかけをいただいていました。その時の会話も文字化して、ブログで公表することで、同じような部分でつらい思いをされている方の貴重な資料になるのではと思ったのですが、公表しようとした矢先に、パソコンが故障して内部のデータを初期化せざる負えない状況になったのです。ですから苦労して文字化したデータは消失しました。

それが昨日の話です。

 

 

「この情報は、個人的なことにとどまって、皆さんにはいらなかったのかな」

 

 

と思っていましたが、本日、別の会員の方から、私と同じ時期に同じような体調不良を経験して、意識の中には過去の整理したはずの問題が、再び浮上してきていると、お聞きしました。まだそれが続いているということですが、私の方は身体の全面的な回復はまだですが、意識面ではかなりの整理ができましたので、個人的な経緯にはなりますが、その方法を記しておきます。

 

 

もしかしたら、普遍的なリセット方法として、多くの方に再現性をもたらすかもしれません。(保証するものではありませんが・笑)

 

 

その前に、9月16日に同席した複数のSBMインストラクターから指摘された部分について、書いておきます。

 

 

1、私の中には、周囲に認めてほしいと思う部分があること。(※それは祖母と元上司にも当てはまります)

 

2、私の身体が一向に痩せないのは、『身体に肉をつけることで何かから自分を守ろうとする意識が働いている』ということです。この問題に対しては、現在の家族ではなく、私が子供の時に関わっていた家族との問題があります。(母、父、妹、母方の祖母など)

 

3、母方の祖母は私が嫌いというのではなく、私を不公平に扱うことで、祖母自身が癒されていたという物語がある。(祖母自身の苦しみの表現?)(甘えの構造)

 

4、受け止めてくれる人に対して、マイナスのエネルギーは流れ込んでいくので、家族の中で一番、弱くて優しい子供に負荷がかかっている(何人か子供がいても、集中するのは主に一人)。

 

5、そこには、生まれた時からのテーマがあり、それは私の人生分だけではなく、母、祖母、ご先祖と連なっていて、もしかしたら人類以来の普遍的なテーマにつながっているかもしれない。だから、すぐに解決しようとしても解決できないし、無理やり解決しようとするとひずみが生まれて、逆に大変な状況になる場合もあるかもしれないので焦らないこと。解決できる時期が来たら、簡単に取れてしまうこともあります。

 

6、逆にいえば、一人でも、人類共通のテーマを理解して、自分の内側で解決してしまえば、集合意識を通じてその情報は伝わるから全体の負担が軽減されるし、同じように自力で解決できる人が増加していくでしょう。

 

 

以上のような、実りある会話を9月16日に行うことができました。

 

その晩に、大阪から四国に帰る高速バスの中で、私の中には祖母に対する怒りがまた再現されてきて、内側の怒りを少し離れた位置から観察するという状況を体験したのです。

 

子供のころの祖母の理不尽なふるまいへの怒りを感じたままの、子供の私が、現在の大人の私の意識の中にいて、成長することもできずに当時の怒りを再現させながら、呪詛的な感情を吐き出し続けているといえばわかってもらえるでしょうか?。

 

 

母方の祖母は、2007年に『命の書』に登録しています。

登録したことにより、祖母との記憶がよみがえると感じていた、感情が煮えたぎるような怒りはなくなりました。しかし、それで解決したのかといえば、私の意識内からその問題がまったくなくなったわけではなかったのです。

2013年になってから、処理できていたはずの祖母に関しての怒りを、再び感じることが多くなってきました。

 

 

「あの祖母とのつらい出来事がなければ、その後の私の成長も全く違ったものになっていただろう。あのせいで、50歳を過ぎた今でも、私は心に傷を負ったままの自分をどうすることもできないではないか。本格的に癒やされることのないまま、今に至っている。実の血を分けた祖母であるのに、祖母はなぜああいう態度しかできなかったのか」

 

 

このような思いが、私の中でグルグルと回っていました。

出口のない苦しい思いの迷路にはまり込んだのです。

 

 

あまりにもしんどいので、逃げることも無視することもできずに、その思いと向き合うことにしたのですが、そこに新しい視点が生まれました。

 

 

1、私は、「自分の血を分けた祖母であるのになぜこんなひどい仕打ちをしたのか…」ということをずっとこだわってきましたが、違う方向から考えたら『肉体的な虐待』も『精神的な虐待』も、ほとんど同一家族間しか起こりません。このほかに教師と生徒、または親戚間というのもありますが、要するに支配の関係が成りたたなければ、事件は起こらないのです。ということは、「血を分けた祖母である」というのは支配関係の条件にはなっても、事件が起こらない排除因子にはならない。悲しいことですが、肉親間だからこそ、そういう力関係による暴力が生まれるのです。

 

 

2、祖母とのつらい思い出は、すべて私の記憶の中にあり、それは過去のことです。しかし過去の体験期と同じように、現在の私の意識に影響を及ぼすとしたら、それが過去の出来事であり、現在私がそういう状況に陥っていないことを、私の意識は正しく理解していないことになります。(脳内の時間が一部止まっているのか?)

 

 

3、生きた時代背景も影響しているのですが、私の母方の祖母は「不幸」だったのです。幸福なのか不幸なのかというのは、外的な要因ではなく、その人間の意識の状態でもあるのですが、祖母は自分を不幸な境遇だと思っていました。しかし、精神的にも物質的にも満たされずに不幸だったのは祖母であって、私ではないということをきちんと自覚することです。一時期、子供時代に私が影響を受けたとしても、その影響を終生受け続ける必要は全くないのです。

 

 

ここまで考えてから、思いが及んだのは、私の小宇宙(意識)の中に、祖母の霊的なもの、またその一部があり、それは私の怒りなどのマイナスエネルギーを糧として存在しているということです。

 

祖母だけでなく、そのテーマにつながっている多くの霊的なものも同じように存在していると考えました。それらが存在するためのエネルギーは、人間が発するエネルギーではないでしょうか。祖母は、私に思い出してもらうたび、また私から怒りの感情を向けられるたびに、霊としての祖母(またその一部)が私の中で生きながらえて、活性化するというシステムです。

生前、きっと亡くなる時まで、祖母は『自分は満たされずに、そして不幸だ。なんで自分は、人生の最後までこんなに不幸なんだろう。私の一生は何だったのか』という世界観で終わったのだと思います。

 

『命の書』に登録されても、本人が行く気にならなければ、すぐには光の世界へ行くわけではない、と以前にきいたことがあるので、祖母の霊が登録後にも残っていることは容易に想像できました。

 

 もう一人。よく思い出し、私の意識領域から去らない元上司は亡くなってこそいませんが、彼もいま、非常に『自分を不幸だと思っている意識状態』になっていると、近状から想像することができます。彼の意識も同じように、こちらに流れ出てきているのかもしれません。

 

また、私も、祖母と元上司に対しては『されたことに対する恨み』が募り、かなり長い間、精神学的に言えば2人に対して『呪』に近いエネルギーを発し続けていました。

 

『やられたらやり返す』ことができない分、内にこもった恨みはエネルギーとなって、相手へと注がれていたのです。過去に、私が相手に注いだエネルギーを、感知しているのかもしれないとも考えました。

 

 ところで、私の意識領域の中に祖母の霊が存在するとすれば、そしてその霊とテーマを同じくした幾万もの見知らぬ意識体ともつながっているとしたら、今年に入ってからの私の意識領域の負荷の増加というのもうなずけます。

 

霊的な意識体の活性化と、精神学を学ぶことで意識と身体の変化により感知センサーが上昇した人間の浄化力の向上が求められるというのは、今年に入ってからすぐに伝えられていたことでもあったからです。

 

 そこで、私はオフダを使って浄化上昇していきました。

私の意識領域に、祖母とその他の意識体の霊が存在することを認識しながら上昇していきました。目指したのは、精神界にあるといわれる『光の門』です。マツリヌシを受講した方なら理解できると思いますが、中空にある『光の門』を目指して、私は意識的に上昇しました。15分ほどで、「まあまあ、上がれたかな」という地点まで上昇できてから、私は声に出して、私の意識領域にいる存在に語りかけました。

 

 「お祖母ちゃん、聞こえますか。そして皆さん、目の前にあるのが、精神界にあると約束された『光の門』です。そこをくぐれば、希望者には次に人間として生まれ変わり、最後の審判に向き合う人生を歩むことができます。私の意識領域にいても、そこから先の道はありません。私に寿命の終わりが訪れてしまえば、もうあなた方の行き場はどこにもありません。いまなら光の門を潜り抜けて、次に進む機会があります。どうぞ、皆さん、勇気をもってそちらに進んでください」

 

 そういう意味を繰り返してから、しばらく待ちました。

小さなグレーの丸が連なって行列のようになって昇っていくイメージが、モノクロで少しだけ見えたような気がしました。もしかしたら、たんに私の想像だったのかもしれません。

 

でも、そうやって、私の内側にいると仮定した祖母をはじめとした多くの意識体を、光の門までお連れして、見送ったのです。

 

結論をいえば、『命の書』に登録した祖母はまだ去っていないかもしれません。元上司も、相変らず私の意識領域に浮かんできますが、それは彼が生命の危機に直面して無意識にSOSを発していることが理由かもしれません。

 

しかし、私の意識領域の負担は、格段に減りました。

 

思考がはっきりと未来を指しているのです。

言い方を変えれば、以前とは別のステージに存在しているぐらい、

 

『これまで私は幸せでした。これからの残りの人生は、どのように生きたいかしら』

 

と考えられるのです。

 

小さな変化のように思えますが、根本のところで何かが変化したように思うのです。

その一方で、いつまでこの感覚が続いてくれるのか?

という、一抹の疑問もあるのですが、それらも含めて、生きているということは案外楽しいことなのだと感じています。

まさに、感じ方が変わったとしか表現できません。

 

 『他人はあなたを癒してくれません。あなたの中にどうしても消えない傷があると思うのなら、自分で自分を癒やすしか、私たちが癒やされる方法はないのです』

 

 人生のテーマが解決できる時代に、突入したのかもしれませんね。